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東京高等裁判所 平成9年(行ケ)160号 判決 1998年10月01日

東京都新宿区西新宿2丁目4番1号

原告

セイコーエプソン株式会社

代表者代表取締役

安川英昭

訴訟代理人弁理士

木村勝彦

西川慶治

鈴木喜三郎

上柳雅誉

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 伊佐山建志

指定代理人

豊岡静男

八巻惺

吉村宅衛

小池隆

主文

特許庁が平成7年審判第21125号事件について

平成9年3月31日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

主文と同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和61年12月29日、名称を「インクジェット記録装置」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和61年特許願第310238号)したが、平成7年8月1日拒絶査定を受けたので、同年10月4日拒絶査定不服の審判を請求し、平成7年審判第21125号事件として審理された結果、平成9年3月31日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年6月4日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

ノズルからインク滴を噴射して記録媒体に記録を行うインクジェット記録装置において、インク供給タンクと、印字ヘッドと、前記インク供給タンクから前記印字ヘッドにインクを供給するインク供給経路と、非印字状態の継続時間を計測して一定時間を超えた場合に信号を出力するタイマー手段と、前記信号により前記印字ヘッドから前記インク供給経路内のインクを吸引して、前記印字ヘッド及び前記インク供給経路のインクを排出させて前記インク供給タンクのインクを前記印字ヘッドに流入させるインク吸引手段とを備え、前記吸引手段による吸引動作が終了した時点で前記タイマー手段の計時内容をリセットしてから再び前記タイマー手段による計時を開始させ、電源が投入された時点での計時内容が一定時間を越えている場合に前記インク吸引手段を作動させるインクジェット記録装置。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  引用例

実願昭54-52215号(実開昭55-151548号公報)のマイクロフィルム(昭和55年10月31日特許庁発行)(以下「引用例」という。)には、以下のことが記載されている。

「本考案は安定したインク滴の噴射を行なわしめるインクジェットプリンタに関する。」(2頁10行、11行参照)

「長時間待期状態が続くとインクヘッド(1)のノズル部(12)に目詰りが発生するが、例えば予め設定された数時間毎に制御回路(22)に依ってヘッドカバー(7)の移動機構(14)及び吸引機構(17)を作動せしめ上記目詰りを防止する。具体的には第3図(a)に示す如く数時間毎にパルス信号を発生せしめ、プランジャー(15)を同(b)のt1の期間付勢しインクヘッド(1)のノズル部(12)をヘッドカバー(7)に依って気密的に覆蓋する。次いで、第3図(c)のt2の期間吸引機構(17)の弁(19)を開き吸引ポンプ(21)を作動せしめる。従って、インクヘッド(1)内に滞留していたインクは吸引ポンプ(21)に依ってノズル部(12)、ヘッドカバー(7)、吸引チューブ(18)、弁(19)、吸引チューブ(20)及び上記吸引ポンプ(21)に至るインク吸引系を介して排出される。この排出と同時にインクヘッド(1)にはインクタンク(10)から新しいインクが供給される。即ち、ノズル部(12)に目詰りが発生する以前にインクを該ノズル部(12)に流通せしめ凝固しかかったインクを外部に排出する事が出来、ノズル部(12)の目詰りを未然に防止することが出来る。」(5頁3行ないし6頁2行参照)

以上の記載から、引用例には、ノズルからインク滴を噴射して記録媒体に記録を行うインクジェット記録装置において、インク供給タンク10と、印字ヘッド1と、前記インク供給タンク10から前記印字ヘッド1にインクを供給するインク供給経路と、非印字状態が一定時間を超えた場合に信号を出力するタイマー手段22と、前記信号により前記印字ヘッド1から前記インク供給経路内のインクを吸引して、前記印字ヘッド及び前記インク供給経路のインクを排出させて前記インク供給タンクのインクを前記印字ヘッドに流入させるインク吸引手段17とを備え、前記吸引手段による吸引動作が終了した時点で前記タイマー手段の計時内容をリセットしてから再び前記タイマー手段による計時を開始させ、一定時間を越えた場合に前記インク吸引手段を作動させるインクジェット記録装置が記載されている。

(3)  対比

本願発明と引用例に記載された考案(以下「引用例発明」という。)とを対比すると、両者は、「ノズルからインク滴を噴射して記録媒体に記録を行うインクジェット記録装置において、インク供給タンクと、印字ヘッドと、前記インク供給タンクから前記印字ヘッドにインクを供給するインク供給経路と、一定時間を超えた場合に信号を出力するタイマー手段と、前記信号により前記印字ヘッドから前記インク供給経路内のインクを吸引して、前記印字ヘッド及び前記インク供給経路のインクを排出させて前記インク供給タンクのインクを前記印字ヘッドに流入させるインク吸引手段とを備え、前記吸引手段による吸引動作が終了した時点で前記タイマー手段の計時内容をリセットしてから再び前記タイマー手段による計時を開始させ、少なくとも一定時間を越えた場合に前記インク吸引手段を作動させるインクジェット記録装置。」の点で一致しており、次の点で相違している。

相違点;本願発明では、電源が投入された時点での計時内容が一定時間を越えている場合にインク吸引手段を作動させるのに対し、引用例発明には、その点について格別規定されていない点。

(4)  判断

上記相違点について検討する。

本願発明の目的は、インク供給経路及び印字ヘッドのインクにガスがある程度以上溶存した場合に、インク供給流路や記録ヘッドに気泡を発生させることなく、しかも可及的に少ないインク量で、かつ短時間に印刷可能な状態にすることにあり、その解決手段として、インクジェット記録装置に電源が投入された時点での計時内容が一定時間を超えている場合に、インク吸引手段を作動させるようにしているが、本願明細書全体をみるも、上記の構成を採用することによる、技術的な格別の意義について何らの記載も認められない。

そして、インクヘッドの目詰まり防止の点からみれば、インクヘッドの印字停止の状態が一定時間経過すればそれのリフレッシュが必要となることは、本願発明及び引用例の記載に照らし明らかであるから、リフレッシュのタイミングを特に電源投入時にのみ限定する理由はなく、また他にリフレッシュ動作を電源が投入された時点において行うべき格別の理由も認められない。

してみると、本願発明が前記リフレッシュのタイミングを前記時点に限定した点に格別の意義は認められないから、その点は当業者が適宜採用し得る事項にすぎないというべきである。

そして、本願発明の効果も、引用例発明から当業者であれば予測できる程度のものである。

(5)むすび

したがって、本願発明は、引用例に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決の理由の要点に対する認否

審決の理由の要点(1)は認める。同(2)のうち、引用例に「前記吸引手段による吸引動作が終了した時点で前記タイマー手段の計時内容をリセットしてから再び前記タイマー手段による計時を開始させ、一定時間を越えた場合に前記インク吸引手段を作動させる」ことが記載されていることは争い、その余は認める。同(3)のうち、「前記吸引手段による吸引動作が終了した時点で前記タイマー手段の計時内容をリセットしてから再び前記タイマー手段による計時を開始させ、少なくとも一定時間を越えた場合に前記インク吸引手段を作動させる」ことが本願発明と引用例発明との一致点であることは争い、その余は認める。同(4)のうち、「本願発明の目的は、インク供給経路及び印字ヘッドのインクにガスがある程度以上溶存した場合に、インク供給流路や記録ヘッドに気泡を発生させることなく、しかも可及的に少ないインク量で、かつ短時間に印刷可能な状態にすることにあり、その解決手段として、インクジェット記録装置に電源が投入された時点での計時内容が一定時間を越えている場合に、インク吸引手段を作動させるようにしている」との点、「インクヘッドの目詰まり防止の点からみれば、インクヘッドの印字停止の状態が一定時間経過すればそれのリフレッシュが必要となることは、本願発明及び引用例の記載に照らし明らかである」との点は認めるが、その余は争う。同(5)は争う。

5  審決を取り消すべき事由

審決は、引用例の記載内容を誤認して本願発明との一致点の認定を誤り、かつ、本願発明の顕著な効果を看過して、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取り消されるべきである。

(1)  取消事由1(引用例の誤認と一致点の認定の誤り)審決は、引用例(甲第2号証)には、「前記吸引手段による吸引動作が終了した時点で前記タイマー手段の計時内容をリセットしてから再び前記タイマー手段による計時を開始させ、一定時間を越えた場合に前記インク吸引手段を作動させる」点が記載されていると認定し、この点についても本願発明との一致点であると認定しているが、誤りである。

引用例発明におけるタイマー手段である制御機構(22)は、数時間毎にパルス信号を発生するだけであって、リセット可能なタイマー機能を備えていないから、吸引ポンプ(21)による吸引動作の終了にともなって計時内容をリセットすることは不可能である。

したがって、審決の上記認定は誤りである。

(2)  取消事由2(顕著な効果の看過)

<1> 引用例発明は、印字動作終了後の待機状態、つまり記録装置の電源が投入されていて印字信号の入力を待っている状態でのみ、数時間毎に出力されるパルスをトリガーとして吸引動作を行うことを特徴とするものである。

そして、一定時間毎にリフレッシュ動作起動用のパルス信号を出力するだけでは、電源オフ状態でパルス信号を出力できる機能を動作させたとしても、電源投入の直前にパルス信号が出力されてしまうと、電源を投入した時点からパルス信号の周期に近い時間が経過しなければ次のパルス信号が出力されず、電源投入の直後にリフレッシュ動作が必ず実行されることにはならない。これに起因して電源投入からしばらくの期間は、印刷が不可能であったり、また印刷不良が生じる等の問題がある。

<2> これに対して本願発明は、インクの吸引手段による吸引動作の終了によりタイマー手段がリセットされるものであるから、電源がオフとされて吸引動作が不可能な状態ではタイマー手段はリセットされることなく計時動作を継続する。

したがって、休止状態が長時間継続した場合には、タイマ一手段の計時内容が電源投入時にタイムアップしていれば、電源投入によりインク吸引手段が作動することになる。

そして、インクジェット記録装置では、一般的に電源投入直後に初期化処理、つまり排紙処理や記録ヘッドの基準位置出し操作等を実行することが、本願出願前の技術常識に属する技術であるから、吸引動作は、電源投入時の初期化処理と併行して実行されるかち、印刷開始までの時間を短縮することができるという効果がある。しかも、本願発明は、電源オフ状態ではリフレッシュ動作を実行させないから、インクを浪費するという問題がない。

<3> したがって、「本願発明が前記リフレッシュのタイミングを前記時点に限定した点に格別の意義は認められないから、その点は当業者が適宜採用し得る事項にすぎないというべきである。そして、本願発明の効果も、引用例発明から当業者であれば予測できる程度のものである。」との判断は、本願発明の顕著な効果を看過したものであって誤りである。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同5は争う。審決の認定判断は正当であって、原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  取消事由1について

引用例発明は、タイマー手段である制御回路(22)かちパルス信号が発生すると、吸引ポンプ(21)を作動せしめることは明らかである。

そして、引用例における制御回路(22)は、数時間毎にパルス信号を発生するが、数時間毎にパルス信号を発生するためには、パルス信号を発生した時点でタイマーをリセットし、次の数時間を計時することが必要であることは技術常識であり、また、上記のとおり、パルス信号が発生すると、吸引ポンプ(21)による吸引動作が行われるのであるから、審決が、引用例には、「前記吸引手段による吸引動作が終了した時点で前記タイマー手段の計時内容をリセットしてから再び前記タイマー手段による計時を開始させ、少なくとも一定時間を越えた場合に前記インク吸引手段を作動させる」ことが記載されているとした認定は正当である。

したがって、審決には、引用例の誤認及び一致点の認定の誤りはない。

(2)  取消事由2について

<1> インクジェット記録装置において、ノズル部の目詰まりを防止するために、電源オフの状態でも一定時間経過した時点で、インク抜きを可能とするために、制御系のタイマー手段と駆動系のインク抜き手段の電源としてプリンターの電源とは別の電源を設けることは、特開昭58-56864号公報(乙第1号証)にも記載されているように、当該技術分野における技術常識である。そして、引用例発明には、電源については明示されていないが、ノズル部の目詰りを未然に防止することを目的とし、待機状態が一定期間継続した場合に、制御回路がパルス信号を発生し、吸引ポンプを作動せしめて、インクヘッド内に滞留していたインクを排出し、新しいインクを供給するものであるから、上記技術常識を考慮すれば、引用例発明は、目詰まり防止のために、電源オフの状態においても上記動作を行うべく、プリンターの電源とは別の電源を有していると解釈するのが相当である。

してみれば、相違点に係る技術的意義は、計時内容が一定時間を越えた場合に、本願発明では、電源オフの状態であればインク吸引動作を行わず、電源が投入された時点でインク吸引手段を作動させるのに対し、引用例発明では、電源オフの状態であってもその一定時間を越えた時点でインク吸引手段を作動させる、ということになる。

<2> この点について、原告は、引用例発明では、電源投入の直後にリフレッシュ動作が必ず実行されることにはならないから、これに起因して電源投入からしばらくの期間は、印刷が不可能であったり、また印刷不良が生じる等の問題がある旨主張しているが、上記のとおり、引用例発明は、電源オフの状態であっても、一定時間を越えた時点でインク吸引手段を作動させるものであるから、電源投入時に印刷が開始可能な状態にあることは明らかで、原告主張は失当である。

また、原告は、本願発明では、吸引動作は、電源投入時の初期化処理と併行して実行されるから、印刷開始までの時間を短縮することができる旨主張しているが、吸引動作を初期化処理と併行して実行することは本願発明の構成要件とはなっておらず、本願発明の要旨外の事項であるから、原告の主張はその前提を欠き、失当である。

なお、仮に吸引動作が初期化処理と併行して実行されるとしても、上記のとおり、引用例発明においても電源投入時に印刷が開始可能な状態にあることは明らかであるから、本願発明の上記効果は顕著なものではない。

<3> したがって、「本願発明が前記リフレッシュのタイミングを前記時点に限定した点に格別の意義は認められないから、その点は当業者が適宜採用し得る事項にすぎないというべきである。そして、本願発明の効果も、引用例発明から当業者であれば予測できる程度のものである。」とした審決の判断に誤りはなく、効果についての看過はない。

理由

1  当事者間に争いのない事実

請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

そして、引用例に「前記吸引手段による吸引動作が終了した時点で前記タイマー手段の計時内容をリセットしてから再び前記タイマー手段による計時を開始させ、一定時間を越えた場合に前記インク吸引手段を作動させる」ことを除くその余の審決認定の事項が記載されていること、本願発明と引用例発明とは、「ノズルからインク滴を噴射して記録媒体に記録を行うインクジェット記録装置において、インク供給タンクと、印字ヘッドと、前記インク供給タンクから前記印字ヘッドにインクを供給するインク供給経路と、一定時間を超えた場合に信号を出力するタイマー手段と、前記信号により前記印字ヘッドから前記インク供給経路内のインクを吸引して、前記印字ヘッド及び前記インク供給経路のインクを排出させて前記インク供給タンクのインクを前記印字ヘッドに流入させるインク吸引手段とを備えたインクジェット記録装置。」の点で一致しており、本願発明では、電源が投入された時点での計時内容が一定時間を越えている場合にインク吸引手段を作動させるのに対し、引用例発明には、その点について格別規定されていない点で相違していることは、当事者間に争いがない。

2  本願発明の概要

本願明細書(甲第3号証の1ないし3)によれば、次の事実が認められる。

(1)  本願発明は、「ノズルからインク滴を噴射して記録媒体に文字等の記録を行なうインクジェット記録装置、より詳細にはインク供給タンクから印字ヘッドにインク供給経路を介してインクを供給するための技術に関する。」(甲第3号証の2第2頁2行ないし5行)ものである。

(2)  「インクジェット記録装置は、印字ヘッド内の各ノズル開口に通じるインク室のインクに電気歪振動子により圧力変動を与えることにより印字が可能となる。この圧力変動やインク流路の形状に起因して、キャビテーションが生じてインク室やインク流路内のインクからインク中の溶存ガスが気泡となって遊離し、インク室やインク流路内に気泡が発生することになる。この気泡は、インクを吐出させるべく圧力発生室に与えられた圧力を吸収してしまうため、ノズルから吐出されるインク滴が小さくなったり、最悪の場合にはインク滴が吐出しなくなる。」(甲第3号証の2第2頁7行ないし15行)という問題があり、「このような問題を解消するため、インクに含まれる溶存気体成分を抜いた脱気インクを使用することをメーカが推奨している。それでも印字ヘッドやインク供給経路を構成する材料には、ガスの透過を完全に阻止するものが存在しないため、インク流路や印字ヘッド内にインクが一定時間以上停滞すると、インク流路を構成する材料を透過したガスに起因する気泡が発生して前述のごとく印字の安定性を低下させるという問題がある。このような問題を解消するために、・・・印字停止期間が或一定時間となった場合に、印字ヘッドやインク流路のインクを排出して、これら部材からインクを抜き取って空の状態とし、次いで印刷に適したインクを充填しなおしてから印字する方法が提案されている。しかしながら、記録ヘッドやインク流路からインクを抜いて空気を入れてしまうと、新しいインクの注入する際にインク流路や印字ヘッドに気泡が発生するため、印刷に適したインクの充填後にさらにこれらの気泡を排除するためのインクの充填が必要となり、印刷が可能になるまでに長時間を要するばかりでなく、また気泡を排除するために余分なインクを必要とする等の問題がある。」(同号証の2第2頁17行ないし第3頁12行)

(3)  本願発明は、上記のような問題点に鑑みてなされたものであって、「インク供給経路及び印字ヘッドのインクにガスが或程度以上溶存した場合に、インク供給流路や記録ヘッドに気泡を発生させること無く、しかも可及的に少ないインク量で、かつ短時間に印刷可能な状態にすることができるインクジェット記録装置を提供すること」(同号証の2第3頁14行ないし18行)を目的として、前記本願発明の要旨のとおりの構成を採用したものである。

(4)  本願発明は、上記構成により、「長時間の休止後に印刷を再開しても、休止によりインク供給経路から浸透したガスを多量に含むインクを確実に排出しつつ記録ヘッドには印字に適したインクをインク供給タンクから充填できるばかりでなく、長期間の休止後においては電源投入時に必要となる初期化処理に併行させて、インク供給経路から浸透したガスを多量に含むインクを確実に排出しつつ記録ヘッドには印字に適したインクをインク供給タンクから填できるため、印刷開始可能までの時間を短縮できるばかりでなく、以後の長時間の印刷に際しても印字不良を招くことなく、高い信頼性で印刷を実行することができる。」(甲第3号証の3第2頁11行ないし20行)どいう効果を奏するものである。

3  取消事由1(引用例の誤認と一致点の認定の誤り)について

(1)  上記1の当事者間に争いのない引用例の記載事項によれば、引用例発明は、タイマー手段である制御回路(22)から予め設定された数時間毎にパルス信号を発生せしめ、この信号により吸引ポンプ(21)を作動させ、インクヘッド(1)内に滞留していたインクを排出するとともに、これと同時にインクヘッド(1)にインクタンク(10)から新しいインクを供給するものであると認められる。

ところで、予め設定された数時間毎にパルス信号を発生する制御回路は、定期的な制御を必要とするあらゆる技術分野でタイマー手段として利用される汎用技術であり、このタイマー手段には、パルス信号を発生した時点でリセットする仕様のものとリセットしない仕様のものとがあるが、いずれもタイマーの内部回路の設計にかかる周知慣用の事項であって、数時間毎にパルス信号を発生するタイマー手段の機能としては差異がないものである。

したがって、引用例発明におけるタイマー手段の内部回路の構成として、リセットする仕様のものとみること自体は技術的に充分考えられるところであるから、引用例発明では、数時間毎のパルス信号の発生に応じて吸引動作を指令するとともにリセット動作を行って次の一定時間の計時を開始するものとみるのが技術的に通常の理解であるということができる。

しかしながら、吸引手段による吸引動作が終了した時点でタイマー手段のリセット動作を行うという場合には、そのリセット時点はタイマー手段の構成とは別個に決まるものであるから、吸引動作の終了を監視するか、あるいは、吸引動作に要する時間についての知見に基づいてリセット動作を行う時点を決定しておくなどの特別の回路が必要になるところ、引用例には、このような特別の回路を設けることについて開示はもとより示唆するところもない。

そうすると、引用例発明のタイマー手段である制御回路(22)は、パルス信号の発生に応じて吸引ポンプ(21)に吸引動作を指令するとともに、これと同時に自己の制御回路(22)をリセットするものとみるのが相当であり、審決が、引用例には、「前記吸引手段による吸引動作が終了した時点で前記タイマー手段の計時内容をリセットしてから再び前記タイマー手段による計時を開始させ、一定時間を越えた場合に前記インク吸引手段を作動させる」ことが記載されているとした認定は誤りであり、この認定を前提とした一致点の認定も誤りであるといわざるを得ない。

(2)  被告は、引用例発明における制御回路(22)が数時間毎にパルス信号を発生するためには、パルス信号を発生した時点でタイマーをリセットし、次の数時間を計時することが必要であることは技術常識であり、また、パルス信号が発生すると吸引ポンプ(21)による吸引動作が行われるのであるから、審決の上記認定に誤りはない旨主張する。

しかしながら、パルス信号を発生した時点でタイマーをリセットする構成が技術常識であるとしても、タイマー手段の構成に由来しない、吸引動作が終了した時点でタイマー手段をリセットする構成は、タイマー手段の内部的仕様にとどまるものではないというべきであるから、被告の上記主張は採用することができない。

(3)  上記のとおりであって、原告主張の取消事由1は理由がある。

4  取消事由2(顕著な効果の看過)について

(1)  本願発明の目的は、インク供給経路及び印字ヘッドのインクにガスがある程度以上溶存した場合に、インク供給流路や記録ヘッドに気泡を発生させることなく、しかも可及的に少ないインク量で、かつ短時間に印刷可能な状態にすることにあり、その解決手段として、インクジェット記録装置に電源が投入された時点での計時内容が一定時間を越えている場合に、インク吸引手段を作動させるようにしているものであること、インクヘッドの目詰まり防止の点からみれば、インクヘッド’の印字停止の状態が一定時間経過すればそれのリフレッシュが必要となることが明らかであることは、当事者間に争いがない。

(2)  本願発明は前記2、(4)の効果を奏するものであるが、上記のとおり、本願発明は、インクジェット記録装置に電源が投入された時点でのタイマー手段の計時内容が一定時間を越えている場合にインク吸引手段を作動させる構成に限定しており、電源がオフとされている状態ではタイマー手段はリセットされることなく、そのまま計時動作を継続していることになるから、電源投入時にタイマー手段の計時内容が一定時間を越えていれば、インク吸引手段が作動することとなるのは明らかである。そして、インクジェット式記録装置では、電源投入直後に初期化処理を実行することは周知慣用の技術であるところ、初期化処理と併行して、印字ヘッドからインクを吸引排出すると同時に新たなインクを充填供給してリフレッシュ動作を行うことは、別途特別にリフレッシュ動作のための時間を確保する必要がないために、印刷開始可能までの時間を短縮することができるという効果を奏するものである。

(3)<1>  ところで、引用例発明は、一定時間毎に印字ヘッドからインクを吸引排出すると同時に新たなインクを充填供給してリフレッシュ動作を行うものであって、引用例には、電源オフの状態であってもその一定時間を越えた時点でリフレッシュ動作を行うことはもとより、このリフレッシュ動作起動用のパルス信号を出力する計時機能が電源オフの状態でも動作することをうかがわせる記載は存しない。

この点について、被告は、インクジェット記録装置において、ノズル部の目詰まりを防止するために、電源オフの状態でも一定時間経過した時点で、インク抜きを可能とするために、制御系のタイマー手段と駆動系のインク抜き手段の電源としてプリンターの電源とは別の電源を設けることは、特開昭58-56864号公報(乙第1号証)にも記載されているように、当該技術分野における技術常識であるから、引用例発明も、プリンターの電源とは別の電源を有し、電源オフの状態であっても一定時間を越えた時点でインク吸引手段を作動させるものである旨主張する。

乙第1号証には、目づまりする危険性が認められるプリンターの電源オフ後又は印字動作終了後一定時間が経過した場合に、インク抜き手段を動作させる技術が開示されているが、同号証の公開日は、引用例の発行日(昭和55年10月31日)より後の昭和58年4月4日であるかち、乙第1号証に開示されている上記技術事項をもって、引用例に記載の技術内容を解釈することはできないものというべきである。

他に、インクジェット記録装置におしいて、電源オフの状態でも一定時間経過した時点で、インク抜きを可能とするために、制御系のタイマー手段と駆動系のインク抜き手段の電源としてプリンターの電源とは別の電源を設けること、及び、リフレッシュ動作起動用のパルス信号を出力する計時機能が電源オフ状態でも動作することが、引用例発明が開示された当時における技術常識であることを認めるに足りる証拠はない。

したがって、被告の上記主張は採用することができない。

<2>  上記したところによれば、引用例発明は、電源オフ状態ではタイマー手段を含む全装置が停止しており、電源投入を起点としてタイマー手段を含む全装置が始動するものであって、電源オフの状態でもタイマー手段の計時動作が継続し一定時間を越えた時点でインク吸引手段を作動させてノズル部の目詰まりに対処するといったことについては、格別想定していないものと認められる。

むしろ、引用例(甲第2号証)の「たとえ目詰りが発生していたとしても、吸引ポンプ(21)の吸引力を上記目詰りに打ち勝つ程度に設定しておけばこれを解消することが出来る。」(6頁3行ないし5行)、「以上の説明に於いては一定時間毎に移動機構(14)及び吸引機構(17)を作動せしめていたが、印字・印画に先立ち上記両機構(14)(17)を作動せしめる」(7頁11行ないし13行)も併せ考えると、引用例発明においては、電源オフの状態ではタイマー手段の計時動作は停止しており、電源投入時に目詰まりが発生していても直ちにリフレッシュ動作を行うことはなく、電源投入時から再び計時を開始して一定時間後、あるいは実際の印字開始時にそれに先立ってリフレッシュ動作を行うことで目詰まりに対処しているものと認められる。

(4)  上記のとおり、本願発明は、インクジェット記録装置に電源が投入された時点でのタイマー手段(電源オフの状態でも計時動作は継続している。)の計時内容が一定時間を越えている場合にインク吸引手段を作動させる構成を採用したことによって、引用例発明では得られない上記効果を奏するものであるから、審決が、「本願明細書全体をみるも、上記の構成を採用することによる、技術的な格別の意義について何らの記載も認められない。」、「本願発明が前記リフレッシュのタイミングを前記時点に限定した点に格別の意義は認められないから、その点は当業者が適宜採用し得る事項にすぎないというべきである。そして、本願発明の効果も、引用例発明から当業者であれば予測できる程度のものである。」とした判断は誤りであるといわざるを得ない。

したがって、原告主張の取消事由2は理由がある。

5  よって、原告の本訴請求は理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日 平成10年9月18日)

(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 市川正巳)

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